話し合い学習
授業の方法には、様々な方法があります。今、学校では「主体的・対話的で深い学び」がめざされています。
そのような中、「子ども同士に話し合いをどうさせるのかが分からない」という声を聞きます。
そこで、これまでの「話し合い学習」の授業実践について、数回に分けてお伝えします。
1 話し合い学習について
私自身は、今から30年以上前、新任2年目ごろから法則化運動の討論の授業にあこがれ実践していました。その中で、その効果や楽しさを感じながらも、対立を軸に授業を創ることに違和感をもち始めました。それは、討論させることが目的になってしまっていたことや、討論の意義が十分指導しきれず、「言い合い」になってしまうことで学級経営上、問題が出始めたことなどによるものでした。
その後、自分なりに方法を工夫しながら、討論ではない話し合いによる学習を行っていました。そのような中で、過去の教育実践で「話し合い学習」とよばれる方法があることを知りました。特別活動での「話し合い活動」という言葉は知っていましたが、「活動」ではなく「学習」と位置づけられています。
「話し合い学習」について霜田一敏氏は次のように定義しています。
一定の共通課題について、個人間の自由な話し言葉による意見交換をとおして、最も妥当な考えを生み出す学習形態
『現代学校教育大辞典』(1993)
まさに、私がめざしているのは「話し合い学習」だと思いました。さらに、岸田元美氏は次の5つの条件を充たす話し合いを「話し合い学習」としています。
1 二人以上の集団状況に人々の間で、話し手と聞き手の役割が分化しているが、その役割は固定的ではなく、交互に交替しあいながら、話題を発展させていくこと
2 話し手と聞き手の社会的勢力は、話題に関しては対等の立場にあること
3 話題における話の内容は弁証的発展をとげるものであること
4 話し手と聞き手との間には、相互に信頼関係があること
5 話し合いは、教師と子ども相互の話し合いを主にするのではなく、子ども相互の話し合いこそが主になること
岸田元美『話し合い学習の理論と技術』明治図書(1971)
さらに、岸田氏はその機能について、次の5つをあげています。
1 主体的授業参加
2 思考の客観化、論理化、組織化
3 集団思考
4 動機づけ
5 心のふれあい
2 自らの実践から析出した具体的方法
さて、では具体的な方法としては、どのようにすればよいのでしょうか?自らの授業を分析した結果、いくつかの方法を使っていることが分かりました。もちろんこれらは向山洋一先生や法則化運動の本や実践、安東小学校の築地久子先生の本や実践から学びながら実践してきたものですが、この本・この実践からというのは詳しく記憶していません。あしからずご了承ください。
(1)2択で問う。
「話し合い学習」の指導のはじめのうちは、教師が2択で問うことで、話し合いがしやすくなります。例えば、「〇か✕か」というのは、ゲーム性もあり気軽に子どもたちが乗ってきます。ただ、これは初期の頃の指導で、いずれ「〇でも✕でもないものを生み出す(弁証的発展)のが話し合いだ」と教えるための導入のようなものです。
まずは教師が発問し、それに応えた子どもの意見を板書し、「この意見に賛成の人はノートに〇を書きましょう。反対の人は✕を書きましょう。」と指示したり、ある事柄について教師の意見を言い、それについて〇か✕かを聞いたりすることから始めます。
(2)自分の意見をまずノートに書かせる。
教師が問うと、パッと手を挙げて意見を言おうとする子どもが現れます。しかし、まず自分の考えをノートに書かせます。はじめは、「〇か✕か書く」というレベルで始めます。教師の問いかけによっては、決められない△という考えもでてきます。ですから教師の問いが重要となります。さらに、その理由を書く時間をとると、机間巡視などで一人一人の考えを確認することができるため、その後の話し合いをコントロールしやすくなります。
さらに、話し合いの最後にもう一度、「今の考えは?」と問い、○か✕か△かをノートに書かせます。これにより、一時間の子どもの学びを見取ることもできますし、子どもに「話し合い学習」は、意見を変えてもいいということの指導にもなります。
(3)「私は」と「私も」を、意見を言う最初に言わせる。
この「は」と「も」の指導は、簡単かつ重要です。同じ意見をつなげる場合は「も」、前と違う意見は「は」をつけて言い始めるよう指導します。
これにより、まず、話し合いの流れが分かりやすくなります。さらに、前の発言者につなげて話すことが子どもに意識されるので、人の意見を聞くことにもつながります。
初めのうちは、「も」の子どもの発言を連続させます。日頃発表することになれていなくても、前の人と全く同じ内容で反復させることで、発表になれさせる方法にも使えます。結果としてクラス全員が発表できるようになり、授業への参加意識を高めることにもつながります。
また、ゲーム的要素を加え、子どもの連続発言を「連鎖」と捉え、「今の話し合いは30連鎖までいったね。」などとほめると、連鎖を増やそうと話し合いをつなげていく子があらわれたりします。
(4)「~ですね。」と言わせる。
子供たちの発表の中には、長々と話したり、論理的でなかったりする場合があります。そのような場合、適当な長さで止めさせて、「~ですね」と確認の語を挟むように指導します。そして、その言葉が出たら、聞いている人は、必ず「はい」と返事をすることをルールにしていきます。
ただ、「はい」と言えない場合(納得できない場合)は、手を挙げて「もう一度いってください。」とか「よく分かりません。」と言うように指導していきます。
(5)話し合いの中で出てきた言葉を紙に書き、掲示し、それを増やしていく。
話し合い方法の指導も、教師が「こう言いましょう。」と指導するより、子どもが思わず言ったり、うまい表現をした言い方や言葉を取り上げて「今の言い方良いね。その言い方で言おう。」と言いながら、「話し合いの仕方」とタイトルを書いた模造紙等に、その言い方や言葉を書いていきます。そして、それに日付と発言者の名前も書き加え教室に掲示します。それにより話し合いの方法や言葉が可視化され、授業中、発言の仕方のガイドとしての役割をしたり、それらが増えていくことで、話し合いがうまくなっていることを感じたりできるようになります。
(6)意見が同じ子どもを集める。
同じ意見をもっている子どもを、集めることで話がしやすくなります。ですから基本的には、話し合い学習の時は、離席は自由にさせます。(これに驚く人もいます。授業では机に座ってじっとしていることが大事だと思っている人がいますが、そうではなく状況を判断し、目的に応じて自由に動ける力の方が重要ですよね。)
同じ意見の子どもが集まると、急に話し合いが活性化することがよくあります。これは、大人も子どもも同じでしょう。一人で考えることを重視する先生がいます。もちろん一人で考えることは大切ですが、分からなければ、人に聞くことできることが大切です。隣の人と話しているとき「まず、一人で考えなさい。」とか「自分で考えなさい。」という指導を見ると、「あーあ、学びたがってるのになあ。」と残念に思います。
(7)黒板を書かせる。
話し合い学習を進めようとしても、話し合いに参加するのが苦手な子どももいます。そのような子どもには「今の〇〇さんの発言を、黒板に書いておいて。」と言うと、友達を誘って、黒板に書きに行きます。得てして発言しにくい子どもは、書くことが得意だったりします。それにより授業への参加意識をもたせます。
「黒板は教師が書くものだ。」と考え、板書計画をつくり、それにあうように授業を進めていく授業もあります。また、「板書は、授業が終わって一目見たときにその授業の様子が分かるように書くべきだ」とか「板書の文字数は、〇〇文字が適当だ」と言う先生もいると聞きます。それらはそれぞれの先生の授業観があるので、正誤をつけられるものではありません。しかし、子どもの黒板活用を禁止している先生にとっては、この方法は驚きでしょう。
もっとも、現在の一人一台端末の授業では、黒板に書くことそのものの意義や、目的をはっきりさせる方が大切かも知れません。
(8)席を立たせる。
「小学校に入ったら、まず、椅子に座って45分じっと話を聞けるようにすることが大切だ」というのは、今も、よく聞かれる話です。確かに、一年生の子どもを45分間、机に座らせる指導技術は素晴らしいと思います。
しかし、子どもが友達と話したいとか、学級文庫の図鑑で確かめたいと思ったときには、席を離れるのがそれほど悪いことだとは思いません。逆に、分からないことがあってもじっと座っていることが不自然なのではないかと思います。
椅子に座って、じっとしている教育は、まさに兵隊を育てる教育の名残だと言うのは言い過ぎでしょうか。
子どもが、学ぶ目的を持って自由に動けることを保障すると、様々な発見があります。例えば、「あの子は、〇〇さんを頼りにしているんだ。」とか「あんな方法で解決しようとするんだ。」とか。
子どもの動きを自由にすることは、その子を理解する方法でもあります。
3 「話し合い学習」と「主体的・対話的で深い学び」との関連
「主体的・対話的」という文字から、「話し合い学習」は、そのものズバリだと感じていますが、中教審答申によると、「対話的学び」は、次のようなものです。
「子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。身に付けた知識や技能を定着させるとともに、物事の多面的で深い理解に至るためには、多様な表現を通じて、教職員と子供や、子供同士が対話し、それによって思考を広げ深めていくことが求められる。」
中央教育審議会答申(平成 28 年 12 月)
つまり、学校における授業という狭いものではなく、「教職員や地域の人との対話」も対話的だし、「先哲の考えを手がかりに考えること等」も対話的だとしています。つまり本を読むことも「対話的な学び」ということになります。「本と対話する」というのは、比喩的な言い回しです。ですから「対話による学び」という表現ではなく、「対話的な学び」なんだと、妙に納得します。
「的」についての余談ですが、若い頃、子どもに全てを任せて児童会活動をさせていたところ、特別活動に詳しい先生から、「子どもに全て任せるのは特別活動ではない。特別活動における自治的活動というのは「的」がついているだろう。」と教えられたことを思い出します。
ただ、「話し合い学習」は、「子ども同士の協働」として、「対話的」であることは間違いありません。
私は、当時から「子どもが大人になったときに必要な力をつけることが小学校教育だ。その一つはコミュニケーション能力だ。民主主義を守るためには絶対に必要な能力だ。」と、いきがっていましたし、今も、その思いは変わりません。
ただ、今は、話し合いができない子どももいることや、話し合いでない学びをしている子どもの姿も大切だと考えられるようになりました。